雑感アウトプット

アニメ、映画、漫画、小説、学術書等々の雑多な感想の書き残し。

『ARIA The Animation』雑感

ニコ生にて一挙放送された『ARIA The Animation』をタイムシフト視聴(初見)しました。「試験前の作業用に垂れ流しておくか」、という程度の気概で再生したのですが、垂れ流すだなんてとんでもない、噂通りの名作でした。

私は佐藤順一監督のアニメでいうと、『たまゆら』シリーズを愛好しています。竹原という風光明媚な空間に流れる緩やかな時間と温かい人間関係が心にしみる作品です。本作『ARIA』は「日常系アニメの元祖」とも称される作品ですが、監督を同じくする日常系アニメ『たまゆら』は『ARIA』抜きには語れないのではないかと思わせるくらい、両作の共通項は多分に見出されます。それゆえ『たまゆら』好きの私がこの『ARIA』を気に入るのは、当然の帰結でした。

ARIA』における大きな魅力の1つは、人々による土地への愛着と、土地が結び付ける人々の関係性でしょう。ここでの土地とはもちろん、ネオヴェネツィアにほかなりません。

ネオヴェネツィアが位置するのは、テラフォーミングされた火星・アクア。一方の地球はマンホームと呼ばれ、名前から察するに、人類の故郷のようなイメージを与えられているのかもしれません。とすると、アクアは科学技術によって人為的につくられた、故郷たりえない惑星として捉えられます。生放送のコメントでもあったのですが、科学技術は生活を便利にはするが、往々にして人の生きがいをはく奪する傾きがあります。一面で人生を豊かにしながら、他面で別の豊かさを奪うおそれがあるのです。

しかし本作ではそのような否定的な技術観は一切見られません。むしろ登場人物たちはネオヴェネツィアをホームとして無条件に愛しています。逆にネオヴェネツィアが彼女たちを愛しているかのような描写も見られます。本編はその双方向の地元愛がどのように構成されているのか、その在り様を彼女たちの日常を通して、視聴者に見せつけているのです。

主人公の灯里はその中心人物であり、彼女は時間の流れの一回性に直面することで、地元への愛情を深化させていきます。11話と12話は特にこのことが象徴的に描かれていました。1話から10話まで(春から初冬まででしょうか)は灯里と様々な人たちとの出会いと親交、そして人の温もりと癒しが際立って描写されます。しかし11話、灯里はその楽しみが未来永劫続くものではないことを知ります。時間とともに人は変わらざるを得ない。でも今楽しめることは今が一番楽しめる。この事実は灯里の中に(そして視聴者の中に)時間に対する強い意識の芽生えとして立ち現れます。そして12話。ひょっとしたことから灯里は過去の、開拓されたばかりのネオヴェネツィアに訪れることになります(これはネオヴェネツィアから彼女への祝福かもしれません)。水の存在を当然視していた灯里と、水の供給による地元の繁栄を心から願っている昔の人々との邂逅。これは彼女に、時間を超えた地元愛の継承を実感させるに十分だったはずです。

時間とともに変化する人間関係と、いつまでも変わらない人々の地元愛。一見相反する2つの事柄を連続的に経験した灯里は、より一層ネオヴェネツィアとそこに住む仲間への愛情を深めたことでしょう。

こうした街への愛情と街からの愛情のようなものは、後のアニメ『CLANNAD』だったり、先述した『たまゆら』などで強く打ち出されるテーマです。また本作全体に流れるスローライフな日常とそれがもたらす癒しは、昨今のいわゆる日常系アニメで幾度となく表現されています。このことを考えると、『ARIA』はまさに今日のアニメ潮流の先駆と呼ぶに足る名作と言えるのではないでしょうか。これほどの作品が10年前に作られていたとは、いやはや驚きです。

2期の一挙放送は決定しており、様子をうかがうに、3期も放送されそうなので、首を長くして待つことにします。そして映画の方も、新参者ながら足を運ぶ所存です。