雑感アウトプット

アニメ、映画、漫画、小説、学術書等々の雑多な感想の書き残し。

『スタンド・バイ・ミー』雑感

先日サンテレビにて映画『スタンド・バイ・ミー』が何故だか放送されていたのを目にしました。その雑感です。

 

主題歌の知名度もあって、タイトルは非常に有名な本作。多くの映画ファンが名作と称する作品ですが、実際に観るのは初めてでした。

ストーリーとしては、4人の悪ガキが死体を探してひたすら線路の上を歩くだけのお話。全体の中でこれといって見せ場となる盛り上がりはなく、最近のアメリカ映画と比べても視覚的快感はほとんどない、いわば地味な映画でした。

しかしその地味さはシンプルさとも言い換えられます。つまり無駄がなく洗練されている。そんな印象を受けました。

映画の核となる要素はずばり、子供、線路、死体の3つのみ。それぞれが「子供の世界」を象徴するメタファーとして上手く機能しています。

主人公たる4人の子供は、みな個性的な性格の持ち主ですが、彼らはまさに「子供心」の象徴です。好奇心と臆病さ、家族への愛情と確執、倫理的な精神と反社会的な精神、などなど、ティーンネイジャーなら誰しもが経験するであろう複雑な心理を、4人が分担して表徴しているように思えます。

その彼らが歩を進めるのが線路ですが、これは差し詰め「人生」のメタファーでしょうか。線路の上を生身で歩くことが許されるのは子供たちだけ。行きは様々な困難を乗り越えながら意気揚々と目標の死体向かって前進します。一方帰りは死体を手放し、黙々と歩み続け、ゴールである町に着くと小学生として最後となる別れの言葉を告げます。まるで行きは子供の夢へと続く道、帰りは大人という現実へと続く道を表しているようです。

とすると死体は「子供の夢」のメタファーとなります。テレビか映画ぐらいでしかお目にかかれない事故による死体は、子供にとってはまさに夢そのもの。この夢は子供たちの歩みの原動力となります。しかし実際に目にした死体は、そんな夢や理想とは程遠い、単なる現実としての死体に過ぎませんでした。銃の引き金を引いて死体を守ったのは、夢見がちな子供として生きるための最後の抵抗でしょうか。その抵抗を終えた4人は匿名で通報するという、最も冷静で現実的な方途を選択し、帰路に着きます。

だからこれは、子供が子供として生き、そして大人になる。それだけのお話。何のスペクタクルも社会的なメッセージもありません。しかし人間誰しもがいろんな仕方で経験することを、シンプルな表現を通して簡潔に描き切っている。だからこそ視聴者の心に普遍的に訴えるのでしょう。

作中の言葉を用いれば「大人にとってはどうでもよいが、子供にとっては重要だったこと」、これが作中にちりばめられ、私たちの感性を刺激します。

Jesus, does anyone?