雑感アウトプット

アニメ、映画、漫画、小説、学術書等々の雑多な感想の書き残し。

響け!ユーフォニアムまとめ雑感

2015年春クール、私の中にカタストロフを生じせしめる作品と出会えました。ほかでもない『響け!ユーフォニアム』です。部活・青春モノの名作であることは間違いなく、個人的には京都アニメーションの最高傑作であり、アニメを語るうえでの義務的作品と言っても過言ではない作品――それだけのクオリティを毎週提供してくれました。

以下、第1話から最終話までのまとめ雑感を書き残します。

 

作画が伝える空気感

京アニの作画クオリティの高さは周知のとおりですが、本作『響け!』は数ある京アニ作品群の中でも、何か「風格」とでも呼ぶべきものを持っているように思えます。そうした印象を与える最も大きな要因が、全編を通して表現されている、画面の中の空気感です。

生々しいリアリティを持つものとして伝わってくるあの空気感を言語化するのは困難、というより私のボキャブラリーでは不可能であることがもはや自明ですので、それについては諦めます。ですが、書き留めておきたいのは、2次元の映像から伝播するあの迫真の空気感(単なる雰囲気ではなく、まさに私を主体とする「感じ」)です。

例えば、色鮮やかな桜の雨を描けば、どんな日本人でもその場面が春の季節に相当することが頭で理解できます。これは桜が春を象徴する記号としての役割を果たしているからであり、アニメに限らず、数多くの作品が桜によって春を表現してきました。第1話の下校シーンで、本作もその表現に成功していることは疑いようのない事実なのですが、さらにその一歩先を行った表現を、作画として達成しているように思えてならないのです。寒さから解放され、徐々に温もりを得ていく春特有の大気の「感じ」――端的に言えば、自分が画面中の世界に入り込んだような錯覚――が動画から伝わってきます。円盤1巻のコメンタリーで、キャストさんが「匂いが伝わってくる」と仰っていました。まさにそれです。通常、動画というと、視覚・聴覚の2つにしか訴えることができません。しかし『響け!』ではあたかも嗅覚や、温度を感じる触覚にまで影響を与えるような、そんな作画が実現されています。

もう1つ例を挙げるならば12話の夏の表現でしょうか。どういった理屈によるものかは分かりませんが(おそらく光と影の絶妙な扱いが大きいのだと想像できるのですが)、まさに「夏」という「感じ」が全身を以て体感できます。現実の気候も関係していると思うのですが、冬に観てもあの夏らしさは迫真的に伝わってくることでしょう。

このように全身の感官を伴って空気感を味わうことができる、それが本作を「特別」なアニメたらしめる1つの要因です。

 

感情に執着するシナリオ

今度は上記のような作画技法によって表現される内容、すなわちシナリオについて見てみます。

純粋にストーリーのアウトラインだけを確認してみると、非常に王道に接近した作品、見方によっては平凡とまで言える作品かもしれません。弱小吹奏楽部に新入生と新しい顧問が入って、色々衝突しながらもそれを乗り越え、結果、府大会を勝ち抜いて大団円!ですからね。シリアス寄りの青春モノではよくあるプロットです。しかし本作を観たらすぐに分かるように、これはあくまでも表面的な事件を羅列したアウトラインであり、スタッフが追及した作品の本質ではありません。スタッフが追及した本質、それはキャラクターの感情の機微にほかならないでしょう。

石原監督も仰っていましたが、本作『響け!』のシリーズ構成は、昨今のアニメの潮流を考えると、非常に珍しいものとなっています。狂っているとさえ言っていいかもしれません。

その理由の1つが、明らかなテンポの遅さですね。1話なんて30分丸々使って主人公が吹奏楽部に入るだけ(それも何となくの動機で)。その後も、5話のサンフェスなんかは序盤の大きな見せ場ですが、それ以外はのらりくらりとシナリオが進みます。終盤でも「コンクール直前で再オーディションの下りに時間使ってんじゃねーよ!」と言いたくなるぐらい。しかも結果的に再オーディションをしてもしなくても麗奈がソロなのは変わらなかったというオチ。作品によっては、こんなストーリー展開をしたら怒られるか、場合によってはネタにされるかもしれません。でも本作ではこのスローテンポに違和感を感じない、むしろしっくりくる。それはそれぞれのキャラクターの感情の機微に主眼が置かれているからです。メインの4人はもちろん、部長の葛藤、副部長の闇(?)、葵ちゃんの苦悩、夏紀先輩の変化、香織先輩の夢とリボンちゃんの想い……等々、作品を彩るサブキャラクターの心象も見事に描き切っています。

これは青春を描くうえで最も大切なことだと思うのです。伝統的なアニメ作品は、その世界観の中で生じる「イベント」に重きを置きすぎた傾向があるように見えます。ですが、その「イベント」を引き起こす主体としてのキャラクター、あるいは「イベント」に時に振り回され、時に乗り越えることを余儀なくされる客体としてのキャラクターの「心象」をいかにして描くか。この「心象」をテーマとして捉え、その表現に素晴らしい作画を以て成功した『響け!』は、新しくもあり、同時にどこか懐かしくもある、そんな作品として私には提示されました。

さて、その心象表現の話の延長線上の話題にもなりますが、本作のシナリオの「狂っている」点としてもう1つ、主人公の位置づけが挙げられます。

先にも書きましたが、主人公・久美子は特にこれといった信念も動機づけもないまま吹奏楽部に入ります。そしてその後も7話まではおおよそ傍観者として振る舞うことになります(もちろん久美子が自覚していないレベルでの成長は少なからずあったでしょうが)。大きく意識が変化するのが8話、主人公のポジションとして本領を発揮するのが12話です。……遅い、遅すぎる。最終話目前で覚醒かよ、と。しかしそれが良い。本当に味わい深い。今までずっと何となくで続けてきたユーフォ。それが北宇治高校に入ることで、麗奈の想いに触れることで、麗奈の演奏を聴くことで、熱病となって立ち現れる。初めて「本気」でユーフォと向き合う。だからこそ初めて本当の挫折を経験する。その結果、初めて得られる「ユーフォが好きだ」という自覚と、音楽を続ける動機。この一連の流れを11回かけてじっくりと溜めこみ、12話の30分で主人公の感情として一気に爆発させる。神がかった構成です。

12話は特に京アニの絶妙の作画芝居と、中の人の最高の演技とで話題になりましたが、これらによって表現される久美子の「本気」というのが、『響け!』で描きたかった青春そのものなのではないかと思います。何事も適当に済ましていたら、成功してもそこまで嬉しくないですし、失敗しても悔しくはありません。逆に何事も「本気」で取り組むからこそ、抑えようのない喜怒哀楽が実現されるのです。この感情の爆発が中心に据えられた青春――これが胸を打たないはずがありません。

以上のように、本作『響け!』では、キャラクターの感情に対して「狂っている」レベルの拘りを見出せます。それによってありきたりな青春を象徴するのではなく、生きた「本気の青春」を私たちに「教えて」くれるのです。

 

百合について

以下、趣味の偏った感想(余談)です。

本作『響け!』はとりわけ8話以降、百合百合しい作品として衆目を集めました。「百合」の定義がかなり拡張された現在、8話のエロティシズムにあふれた描写を百合と呼ぶのは、極めて妥当なことだと私には思われます。実際、百合好きを自称する私は、8話から一気にのめり込みました。

「百合とは何だろうか」。多くの百合好きが抱える問いであり、私もその1人です。本来的には女性同士の同性愛を指すのでしょうが、ではいわゆる「ゆるい百合」は百合ではないのか。まあこれに対する答えは立場やら好みやらによって変わるとしか言えないのですが、この問題について結構真剣に悩んでいる時期がありました。百合作品の在り方が大きく変わっていく中で、自分が好きな百合とは何なのか、そもそも自分は百合が好きなのか、明確な答えを出せないでいました。

そこに表れたのが『響け!ユーフォニアム』です。まさに「これだ!」でしたね。こういう百合を求めていたのだと自覚しました。友情と愛情のボーダーにあるような、あるいはその二元論的な感情構造から遊離した所にあるような、それが私の好きな百合なのです。この種の作品に巡り合えたのは本当に久しかったので、あまりの感動に、方々の検索窓に「くみれい」を打ち込みまくる日々が続いています。

 

とまあ、思いのたけは粗方綴りました。円盤は全巻購入予定ですし、原作もこれから買って読もうかなと思っております。今のところプロデューサーの方が2期をやりたいと、ちらっと零したということを聞いただけですが、北宇治高校吹奏楽部の「次の曲が始まる」のを期待して、雑感を締めます。